「ほとぼる」
謝罪してほとぼりがさめるのを待つ。そもそも「ほとぼ」っていたのだろうか。
週刊文春2018年7月5日号
宮藤官九郎「いまなんつった」
喫茶店で先週の週刊誌を読んでいて、こんな文章を見つけた。
つい最近、似たようなのがあったのを思い出した。
歩いてない。小走っている。
2018年6月29日付朝日新聞大阪本社版生活面
伊藤理佐「大人になった女子たちへ」
「小走る」である。
ほかにも正確な出典データは示せないが、テレビのアナウンサーの話し言葉で「鉢合わせる」、ネットニュースの見出しでは「深掘る」というのを見たことがあって、なんだかおもしろいと思ってメモしている。
動詞(や形容詞)の連用形を名詞で使うことがある。連用形名詞とかいうらしい。
多くは元の動詞や形容詞も使われる。たとえば「乗り換え」と「乗り換える」のように。
元の動詞が見当たらないというか使われていないものも多い。
「ほとぼる」や「小走る」もふつうはまず使わないような気がするのだが、どうなんだろう。
古語としては「ほとほる(熱る)」というのがある。そこから口語の「ほとぼる」となって「ほとぼり」が使われるようになったのか、「ほとぼる」はもとは存在しないのか。
単独語「ほとぼる」と複合語「小走る」のちがいもあるから一括りにはできないのだろうけど。ありそうな「元の動詞」は、ほんとうにあったのか、実はなかったのか。
「元の動詞」が実はなかったにしても、また元はあったのに今では使われなくなっているとしても、このごろになって使う人が現れたというのはどういうメカニズムなんだろうか。