絶望のふち
一度は絶望のふちに立たされた人は、それを信じられる。
この場合の「ふち」は漢字で書くとどれなんだろう。
新聞の場合、仮名で書いているのは新聞社設定の表外字・音訓ということが多い。となると「淵」なのか。「淵」は「水の流れがよどんで深くなったところ」のことで、比喩的には「抜け出ることが難しい境遇、心境」のことをいうので「絶望の淵」という言い方をすることは多い。国語辞典は「絶望の淵に沈む」という例を挙げることが多い。
「絶望の淵に立つ」というのはどんな姿なのか。「絶望に沈んだ心境でなすすべもなくたたずむ」さまかと思う。
なおこの文では、瀕死のクヌギの実を鉢に植えて待つこと半年、やっと芽が出たのを喜ぶ人が、自身の娘が難病と闘いながら育ってきた経験と重ね合わせ見ている。「一度は絶望のふちに立たされた人」は、まだ絶望しきってはいない。
となると、じつは「絶望のふち」とは「崖っぷち」の「ふち」で、漢字は「縁」を当てるのが適当なのかもしれない。
絶望の瀬戸際にある人物は「絶望の縁」に立っていて、これがひとたび絶望しきってしまうと、「絶望の淵」に沈んで浮かび上がれなくなる、みたいな。
ちなみに三省堂国語辞典第7版は、「淵」の3番目の意味として「せとぎわ。『滅亡のー』」としている。これは「縁」の項に移した方がいいと思う。あくまで個人の意見ですが。